画期的な編成すべてが5扉の車両が誕生したわけ。【京阪5000系引退】
▼京阪5000系の5扉としての運用が、1月31日(日)のダイヤ改正に伴い1月29日(金)をもって終了となります。車両そのものの置き換えも夏ごろまでに実施される予定です。
▼5000系は1970年12月26日に登場し50周年を迎えたところではありますが、残念ながら引退となります。製造から50年ということで老朽化が進んでいることや、ホームドアの設置によって5扉が使えないことなどによっての引退のようです。
▼この5000系が画期的だったのは、乗降扉が京阪の標準的な車両では3扉であるところ、1車両に5扉あり、ラッシュ時には2扉(第2、第4扉)を開いて、乗降時間の短縮を図り、ラッシュ時以外は2扉を閉鎖して、使わない扉の内側には室内の上部から収納している座席を下げて着席数を増やすことができるというものであった。
▼この5000系以降にも、JR東日本(サハ202形、サハ208形、サハE230 形)、営団地下鉄03系、東武20050系、東急5000系などが通常より多い扉を設置してラッシュ時の多客対応を行っていますが、1編成すべての車両が多扉であるのは京阪の5000系しかありません。
▼1編成すべてが多扉という車両が生まれた背景には、当時の京阪の置かれていた厳しい状況がありました。京都、大阪市内での路面電車との平面交差により、架電電圧が600Vのままであり、戦後の高度成長期を迎え、沿線の人口増加による混雑、ダイヤの遅れを解消するために、昇圧による1編成を7両以上に増やすことができませんでした。
▼そこで、1編成7両のままで、乗降時間を短縮しダイヤの乱れを防ぐために1編成すべてが多扉という5000系が開発されました。
▼扉の数が増え、昇降式の座席を設置するために、車両の構造が特殊になり、重量が増える恐れがありました。それを解消するため軽量のアルミニウム合金製車体としたため、コスト増になり、財政上の理由から製造量数は最小限にすることが求められました。
▼5000系の車体は、これまでの卵形の京阪の車両とは異なり、角張っているように思われますが、これにも理由がありました。これまでの車体は普通鋼を使っていたので、軽量化を図るため、卵形に近い形状をしていましたが、この5000系ではアルミ押出型材を組み合わせて車体を組み立てるため、角張っているようになりました。
▼混雑解消のために、天満橋・守口間の複々線の延伸工事も同時に進められ、電圧の1500Vへの昇圧方針も決定されましたが、実現するためには10年程度の時間が必要となっており、それまでの間、5000系はショートリリーフとしての役割を担っていました。
▼当初はショートリリーフと言われながら、結局50年もの長きにわたり京阪の通勤列車の一翼を担ってきたわけですが、7編成49車両のうち、すでに3編成が2016年、2018年に廃車となっています。
▼京阪では、5000系が50周年を迎えた昨年12月に記念イベントを実施し、オリジナルグッズの販売、車両展示と座席昇降実演観覧会を中之島駅ホームで実施しました。
https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2020-12-17_teisei_5000event.pdf
▼筆者も3年間京阪沿線で通勤していたので、5000系にはなじみがありますが、閉じた2扉の座席しか空いていないときは、座席のソファーが硬くて少し残念な気がしたものです。しかしながら、いつもあると思っていた車両がなくなるのは、寂しいものではありますね。
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