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なぜに「新」が付くのか?【新疋田駅の秘密】

▼北陸本線の近江塩津駅と敦賀駅との間の山深いところにある「新疋田駅」。「新」と付くにはこの駅の生い立ちの秘密があります。

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▼北陸本線のこの区間は近江の国から越前の国に抜ける交通の要衝ではありますが、山深く勾配もきつくて難所の1つとなっていました。当初の北陸本線は、木ノ本駅から現在の北陸自動車道とほぼ同じルートで、中ノ郷、柳ケ瀬、雁ケ谷、刀根を通って、疋田へと向かっていました。途中、柳ケ瀬トンネルなどのトンネルを経て、現在の北陸本線とつながることとなっていました。

▼この柳ケ瀬トンネルは、まだ土木技術も未熟な時期に作られたもので、断面が小さく、勾配もきつかったようです。1884年4月に柳ケ瀬トンネルが開通し敦賀へは結ばれたものの、柳ケ瀬トンネルは勾配がきつく、列車が立ち往生することが多々ありました。豪雪地帯でもあり、冬には雪崩が多発しました。虫の異常繁殖で線路上の虫を押し潰すと、その油分で車輪が空転することもありました。

▼また、柳ケ瀬トンネル内での乗務員の窒息事故が多々起こっていたこともあり、新線の検討がなされることとなりました。新線は結局、昭和恐慌、第二次世界大戦などにより、なかなか実現されずにいましたが、1953年の深坂トンネルの完成を経て、ようやく1957年10月に開通し、木ノ本、余呉、近江塩津、新疋田の各駅が開業しました。

▼深坂トンネルが「新疋田」駅の秘密のカギを握っています。

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▼ログハウス風の駅舎は2006年に建てられ、その横にある建物が旧の駅舎の一部のようです。

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▼一方、旧の北陸線はどうなったかというと、柳ケ瀬線として支線になりました。当時、日本一の赤字路線として日本中に有名となり、廃止について議論が起こり、まず、敦賀・疋田間が休止、その後全線が廃止となりバス路線へ転換されていきました。

▼こうしてみてくると、疋田駅が元々あって、その後、新線の開通により、新駅ができたため、「新」疋田という名称になったことがわかります。明治時代にできた柳ケ瀬ルートは勾配がきつく、地形的に厳しい条件のため、深坂トンネルが掘られ、新線のルートが開通したことにより、こうした事情が生じたことがわかりました。

▼現在の列車は性能もよく、昔に比べてはるかにきつい勾配でも難なく上ってこられます。新疋田駅を通過する特急列車も、スムーズに何食わぬ顔で、近江塩津から、また、敦賀から駆け上って来て降りて行きます。

▼続いては、特急「サンダーバード」の通過シーンと225系新快速姫路行きの到着風景です。深坂トンネルを出て、敦賀へ駆け下りて行くシーンもある動画です。

▼なかなか、駅の名前を調べると、面白いことがわかります。今日はこの辺で。チャオ。

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コメント

SLが勾配に弱かったがゆえの
路線改良ということですね。
もし北陸線が当初から電化されていれば、
ひょっとしたらこのあたりのルートは
旧線のままだったかもしれませんね。

投稿: るーと | 2015年5月 4日 (月) 01時51分

るーとさん。

そうですね。
最初から電化されていたら、
また違った展開があったでしょうね。
しかし、この辺りは歴史的に
旧い路線なんですね。

投稿: kumoha313 | 2015年5月 4日 (月) 08時21分

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