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あれから15年たちました【阪神】

▼1995年1月17日、午前5時46分。

▼阪神淡路大震災が起こって15年がたちました。

▼阪神間では、鉄道においても大きな被害が生じました。JRの六甲道の高架が崩れました。山陽新幹線はやはり高架が崩れ、長期間にわたり不通となりました。阪急では伊丹駅が全壊しました。神戸線も大きな被害を受けました。

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山陽新幹線、六甲隧道東側入り口。この先の高架は崩れました。

▼特に阪神電鉄は大きな被害を出しました。石屋川車庫が震災の直撃を受け、留置されていた多くの車両が脱線、横転しました。まだまだ活躍するはずだった車両が廃車となりました。

▼そのため、非常に急いで、残った車両を編成替えしたり、新規の車両を補充しました。その新規車両が9000系です。阪神の車両はこれまで系列の武庫川車両で作っていましたが、震災で急遽赤胴車の補充を作らないといけなくなり、川崎重工業に発注することとなりました。

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川崎重工製ステンレス車

▼計画により更新が進められていた5000系の後継車5500系も、この震災により、前倒しで更新されました。

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その後の5500系はどんどん新造。

▼震災1ヵ月後、私も被災地を訪れる機会がありました。阪神は確か、大阪側からは御影までは動いていました。武庫川を越えると、車窓の風景は悲惨なものへと変りました。

▼御影駅周辺は、海側の酒造会社の蔵が全壊していました。山側に向かうと、JR六甲道周辺の高架は崩れていて、その隙間から山側に向かいました。

▼三宮へ行くために、阪急神戸線へ向かいました。阪急も大きな被害を受けていました。阪急は御影・王子公園間が復旧しており、そこからはバスで三宮に向かいました。

▼震災後、鉄道の復旧はすさまじいスピードでした。一刻も早く利用者の足を復旧確保しようと努力された当時の関係者の努力に敬意を表するものです。

▼あれから、15年。すでに大震災の傷跡は、阪神間の鉄道では、もうほとんどわからなくなってきました。しかし、あのときのことは忘れないでおかないといけません。

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コメント

私もJRが部分開通したときに、
芦屋か住吉でバスに乗り換え三宮まで行きました。
ブラウン管を通して被災映像は何度も見ていましたが、
実際に目の当たりにすると、
まさにそれはこの世の地獄でした。

被災者の方々のお気持ちを推し量ることなど、
おこがましくてとても出来ませんが、
せめて被災された方々の心の安寧を願いたく思います。

投稿: るーと | 2010年1月19日 (火) 00時19分

るーとさん。

崩壊した家や鉄道の高架。
それは信じられない光景でした。
被災した地域とそうでない地域の
ギャップがなんともいえないものでした。

大震災から15年たちましたが、
あらためて、亡くなられた方々の
ご冥福と被災された方々のその後の
ご健勝をお祈りいたします。

投稿: kumoha313 | 2010年1月19日 (火) 06時52分

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